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2020年

寄稿-2020年度阿部賞受賞:石川仁先生(QST病院)

同門の先生より

日本放射線腫瘍学会 令和 2年度阿部賞を受賞して

国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構 QST 病院
石川 仁

これから放射線腫瘍医になろうと考えている先生、あるいは現在迷われている先生、実は私も相当悩んで放射線治療の道を目指すことに決めましたが、とことん悩んで結論を出すのが良いと思います。私の専門である前立腺癌では、同程度の成績が得られる複数の治療選択肢があるため、なかなか治療を選べない患者がいます。幸いにも、前立腺癌では焦らずに考えるに足る時間がありますので、情報を丁寧に説明し、患者に本気で悩んで頂いてから方針を決定するように心がけています。私にはよくある出来事ですが、本人には人生の大きな選択を迫られている緊急事態ですから、一緒に悩んで本人が良かったと思えるような選択をしてもらいたいと思っています。そして、放射線治療を選んでくれたら、その期待に応えられるように患者の特徴を考慮して、最大限の創意工夫をして治療しています。

 今回は、日本放射線腫瘍学会で栄誉ある阿部賞に採択されました。研究テーマは、「粒子線の特徴を生かした治療法を開発するための基礎的,臨床的研究」で、2004年から17年間の研究開発と普及活動が評価されました。大変光栄なことですが、私の努力だけで成し得たことではなく、たくさんの先輩のご指導、後輩のご協力、同級生の励ましや周りのスタッフのご尽力があって成せたことです。同門の先生方、JASTROの先生方の温かいご指導と偶然の巡り合わせが重なり、粒子線治療医を代表して頂けたように感じています。

 なぜ粒子線治療にこだわるのか? ということを何度も問われました。これは、粒子線治療を経験してきたからだけではなく、好きだからだと思います。生物研究で未知なことが多い、自分が貢献できる可能性が高い、高額な医療費が原因で治療を受けられない患者がいる、放射線治療で最強の武器の1つになりうる、などは興味をもった理由であり、粒子線治療の発展が放射線治療全体に大きなプラスになると信じて没頭してきたという感じです。

 しかし振りかえると、私は日和見な人間でした。大学在籍時は教員を目指して新しい治療法の開発や基礎研究に従事したいと思っていましたが、群馬がんセンターでは流行になりつつあった同時化学放射線療法に熱中し、国立高崎病院では術中照射と緩和照射に興味をもちました。大学院生時代は、駒込病院で脳や肺の定位照射、前立腺癌の IMRTに取り組みました。日本初のIMRTを実現するという上司の夢を叶えるため、業務終了から終電までの時間に某企業の一室を借りて毎日計画を行っていました。当時は1回の計算に10時間以上を要しましたので、満足できる結果を得るのに2-3週間かかりました。

 このように熱中できたのは、私が入局した当時の放射線治療はまだ2Dの時代でしたので、成績は今よりも格段に不良で、治った症例には副作用が生じるという感じで何とかしたいという強い思いがあったからです。実際は多くの患者が治癒し、副作用が生じない場合の方が多いのですが、放射線治療に夢と期待をもってこの道を選択した身としては、悪い印象が大きかったのだと思います。また、放射線治療はがん治療の柱としては十分に受け入れられる前でもありました。放射線治療を他科の医師から勧められる治療にしたいという思いはこの頃から芽生えましたが、実は今でも持ち続けています。

 そんな中、出会ったのが重粒子線治療です。組織学的に放射線抵抗性で、大きな腫瘍の治癒例のスライドを見て驚いたことを今でも鮮明に覚えています。副作用も少ない。専門書でしか見聞きしたことのなかった重粒子線治療の成果をみて心が躍りました。そして偶然にも教授として赴任した中野先生がこれを群馬に導入したいという大きなアドバルーンを掲げ、幸運にも、大学院を修了しスタッフになったばかりの私に放医研(現在のQST)で重粒子線治療を研鑽する機会が巡ってきました。2004年の春のことでした。

 放医研では全ての治療は臨床試験として行っていました。今でこそ臨床試験は有触れていますが、その当時は大学でも携わる機会は滅多にありませんでした。臨床試験の企画、実施、評価に関する体制も国内外からの有識者を集め、頻繁に班会議を開き、綿密に戦略を立てて行い次のステップに向かう。それまでに経験してきた環境とは全く別の世界でした。高度先進医療に採択されたばかりで、病院全体に活気があり、医師も他のスタッフも患者も目が輝いていました。こんなチャンスは二度とないと思い、無我夢中で勉強と診療をしました。周囲からは変な奴だと思われたかもしれません。他グループの班会議や打ち合わせにも辻井先生に頼んでほぼ全てに参加させてもらいました。ここまで駆り立てられたのは、群馬大学に導入された時に実行部隊の先頭に立って成功に導かなくてはいけないといった使命感と今後5-6年の自分の目標が明確になったことが理由であったと思います。

 放医研での2年半の研修後、大学に戻り留学で1年不在となった時期には、大野達也先生、加藤弘之先生が放医研から戻り、他のスタッフと最終段階の体制整備を完璧に行ってくれましたので、帰国後、重粒子線治療をスタートさせることだけに専念でき、患者さんの協力も得られて無事に2010年3月の治療開始にたどり着くことができました。そして、前立腺癌の治療が100例目に達する頃、櫻井先生の主宰する筑波大学に異動しました。この時期に新たな目標が定まったことは、私の人生にとって大きなプラスでした。茨城県内の放射線治療専門医はその当時10名で、医局員も15名足らずの教室を大きくし、県内の治療に貢献すること、そのためには筑波大のアドバルーンである陽子線治療を推進させ、その研究成果を広く公表し、院内外に広報活動を行うことで勧められる治療にする、という目標ができたのです。大学院生の研究活動や多職種、他科との連携を目的にした勉強会などに携わりながら、チームを形成し、最初の4年間で陽子線治療件数は250件から450件に増やし、10名の若手医師も新たに加わってくれました。

 しかし、順風満帆かに思えた生活は2015年に大きく変わりました。先進医療会議が粒子線治療を保険診療か自由診療にするかの決着をつける検討を開始したのです。私を含め粒子線治療に携わってきた医師にとって暗黑の時代が訪れました。当時の粒子線治療、とくに陽子線治療は、X線治療の延⻑として扱いやすい反面、照射範囲、線量分割、併用療法などの施設間差が大きく、先進医療の出口である保険診療のための準備、すなわち他治療と結果を比較し、その有用性を解釈することが十分にできていませんでした。オールジャパンでの取り組みはほとんどなかったのです。一方、重粒子線治療は、放医研での臨床試験プロトコールを新規施設が採用し、放医研で研修を行ってから開始するという群馬大学での取り組みが手本となり、施設間差は少なく統一された治療を行っていましたが、施設数がまだ少なかったため症例数が十分ではありませんでした。

 こうした中で評価された結果は惨憺たるものでした。先進医療の継続は辛うじて認められたものの、①適応疾患の選定し、統一治療方針を作成する②全症例をキャンサーボードで適応判断後に治療を行う③結果を全例登録する④他の治療法と比較するためにシステマティックレビューを行う⑤コモン・キャンサーでは先進Bとして臨床試験を行う⑥これまでのデータをまとめる、などの条件付きでした。私は泌尿器腫瘍のWGリーダーと同時に呼吸器腫瘍、消化器腫瘍のWGメンバーとしての活動を行うことになりました。人数が少なく掛け持ちするしかなかったのです。前立腺癌の臨床試験(先進B)は計画から開始までに2年半を要しました。グループ内で線量分割法から協議し、全施設の治療計画を確認し、前立腺の描き方を統一することから始めました。プロトコールのブラッシュアップは10回以上になり、倫理審査は本審査だけで3回行いました。この研究を放射線治療全体の研究として認識させるため、全国の放射線治療医が参加する研究グループであるJROSGでの承認を得る手続きをし、AMEDに申請し6000万円の研究費を獲得しました。また、比較治療としてIMRTの臨床試験を同時に開始するように要請があったため、JROSG泌尿器腫瘍グループのメンバーの賛同を得て、登録数1000例という大きな全国規模の研究を開始しました。既治療例については1200例のデータを収集・解析し、翌年に国際誌(Cancer Medicine)に報告しました。各施設のメンバーが迅速に大量のデータを登録した努力で得られた結果です。システマティックレビューは、日本泌尿器科学会の先生方が協力してくれました。2017年12月にその結果を厚労省に提出しましたが、これを英文化して国際誌(Int J Urol)に報告できたことは少し恩返しができたと思いほっとしています。これら全て多くの方々のご尽力があって達成できたことです。こうして2018年4月に前立腺癌の保険収載が実現できました。前立腺癌はX線治療との成績の差が少ないため、先進医療から外されることが何度も話題になりましたが、他のコモン・キャンサーに先んじて粒子線治療が標準治療として認められた日には、同期の野中先生と祝杯をあげたのを懐かしく思い出します。

 QST病院に異動してからも2022年の保険改正に向けての取り組みに追われており、やるべきことは沢山ありますが、これまでの経験を生かして取り組んでゆきたいと思っています。群馬大学の同門である若月先生、村田先生、小此木先生、松井先生のサポートを受け、一方で部門⻑である中野先生のご指導も仰ぎながら、重粒子線治療が標準治療として多くの患者に提供できるようになる夢に向かってこれからも邁進してゆく所存です。もし、皆さんが放射線腫瘍医になったら、一緒に働ける日を楽しみにしています。険しい山ほど登り切った時の達成感は大きいでしょうし、見える景色も素晴らしいと確信しています。

 末筆になりますが、これまでご指導を賜りました同門の先生方に深く感謝し終わりにしたいと思います。

群馬大学重粒子線治療開始日の祝賀会 With 中野先生 2010 年
群馬大学での送別会(前立腺グループ) 2011 年