入局挨拶:小松 有香先生(群馬大学)
4月から入局予定の小松有香(旧姓:重田)と申します。10月に同期の小松君と入籍しまして、入局後は苗字を小松にすべて統一させていただく予定です。皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
私は群馬大学出身ではなく、杏林大学という私立の医学部で大学6年間を過ごしました。出身地は群馬県で、高校は前橋女子高校です。大学卒業後は群大で2年間研修させていただいています。研修医としての2年間のうち13か月という長い期間、放射線科を選択させていただきました。私の代から、内科枠として最大2か月間、放射線科を選択することができるようになり(病棟があるからという理由で)、自由に選択できる11か月間と合わせて最大限放射線科をローテートさせていただきました。
私が放射線科医になろうと決めたのは医学部5年の夏です。それまでは漠然とですが、婦人科腫瘍に興味があったため、産婦人科志望でした。ですが出身大学のポリクリで婦人科を回り、当時担当してくださった先生に相談した際、「先生は婦人科、向いてないと思う。」とはっきりと言われてしまい、考え直すことになりました。文脈的には、産婦人科は体育会系のような雰囲気で、それが向いていないと言われた理由と捉えました。杏林大学は群大と異なり、立地が良い(最寄りは吉祥寺駅)などの条件から研修医がかなり集まる大学病院(1学年60人定員でフルマッチすることも)で、学生の勧誘はあまり盛んではありません。ポリクリの時に、はっきり言っていただいたおかげで、外科系に進むことは諦めました。そして次に考えたのが腫瘍内科です。婦人科腫瘍だけでなく、何かしら癌治療に携わりたいなと考えていたため、腫瘍内科のようにいろいろな癌患者さんに関わることができる科が魅力的に思いました。しかし、腫瘍内科は新しい分野のため存在する病院が限られており、腫瘍内科がある病院に実習に行ったりもしましたが、なかなか実際は難しいなと感じました。
前置きが非常に長くなりましたが、いろいろ考えた末、放射線治療に至りました。杏林大学ではポリクリの放射線治療の実習がわずか3時間しかなかったのですが(実際の治療の様子と外来見学込みで)、私には放射線科医の知り合い(神奈川県立がんセンター放射線治療科部長 兼重粒子線治療科部長:中山優子先生)がいらっしゃったため、放射線治療科というものがあるということを知っていました。中山先生がいらっしゃらなかったら、まず放射線治療の存在が頭に浮かんでこなかったと思います。中山先生は私が小学生の時、家が隣で、また中山先生の娘さんが私と同じくらいの年であったため、よくお互いの家を行き来していました。放射線科の先生方が中山先生の家で飲み会をしているのも見たことがあり、物心ついた時から実は縁があったのではと感じています。
そんな訳で放射線治療に興味を持ち、医学部5年の夏に群大の放射線科を見学、6年生の時に1か月間実習させていただいた末、放射線科医になることを決めました。
因みに同期の小松君は、研修医になった当初は麻酔科医になると決めていました。ですが、同期欲しさに私が勧誘し、そして成功しました。共に頑張りますので、今後ともご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。